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いよいよ。いよいよだ。

もうすぐ、カルデアのマスターが私の愛に溺れる。

私の用意した大奥という迷路の中で、

たっぷりと徳川の熱量と堕落の甘汁を吸って熟れた果実。

その肥えた果実を落とし、私のものにした時。

私は羽化し、晴れて第三の獣として世に放たれることになる。

…そして、『右』にも勝利する。

負け続けの私が、初めて勝つのだ。

 

「……ふふっ」

 

思わず笑みが零れる。

私が、私自身に向ける無垢で幼稚な笑み。 …らしくない。

私は愛する神。微笑みは人を誘惑し、堕落させる道具の一つだ。

だから、私はただ人類に微笑んでいればいい。その笑顔の裏で嘲笑してやればいい。

 

「まだかな…まだかな? あーもう、まだかなー!

Lちゃん、さすがにここまで我慢し過ぎなんですけどぉー!」

 

私の羽化の最後の一手を前に浮かれているようだ。

落ち着きを取り戻しかけ、私の『忠臣』に声をかける。

 

「というわけで、黙って見られていても気が散ります。信綱さん。

…信綱さん?」

 

…松平信綱がいない。すっかり徳川に成り果てた小太りのカルデア所長も。

逃げた?いや、まさか。ここは私の宇宙、私の中。逃げ場などどこにもありはしない。

サーヴァントではない彼らの肉体が消滅することもない。

私の中で、私の制御から外れたことが起きている。

油断に絆された私の全神経が尖る。 またRが干渉を?

いや、あの女は念入りに燃やして退去させた。ならば誰が?

その時。私の背後から声が聞こえた。

 

「カー…マ…」

 

威厳など微塵も感じられない、甘え切り堕落した人間の声。

振り返ると、カルデアのマスター、藤丸立香が覚束ない足取りで私に向かってきていた。

「ああ、カーマ…お願いだ…愛してくれ…俺を、溺れさせて…」

その言葉は私の勝利宣言と同義だ。私はRを倒した人間を、溺れさせた。

これで私は第三の獣として羽化する。 

…なのに。 なんなのだろう、この違和感は。

 

「…念のため聞きますけど。あなた、本当にマスターさんですか?」

「何を申す…俺は、徳川立香…徳川の将軍だぞ…」

 

徳川化が完全に浸透している。右手には令呪。魔力回路も一般人並み。肉体も魂もそこにある。

目の前にいるのは、間違いなく本物のカルデアのマスターだ。幻術でも、身代わりでもない。

でも。

 

(…パールヴァティは?『元』女中たちと、あの頑固な侍は?)

松平信綱と所長だけではない。カルデアの側についていたサーヴァントたちも軒並み消えている。

(一体、何が)

事態を把握しきれない私の背後に、また別の声がかかった。

「おめでとう、カーマさん。あなたの勝ちよ」

 

どうしてこう、背後からばかり声がかかるのか。

苛つきながら再び振り返れば、今度は女がそこに立っていた。

着ている和服と顔立ちからして日本人だが、大奥の関係者には見えない。

その女は、重力もない、酸素供給も最小限に抑えた私の宇宙の中で、

涼しい顔で私を見つめている。

 

「なんなんですか、あなた。誰です?あなたをここに呼んだ覚えはないんですけど」

 

苛立ちを隠さずに問いただす。

 

「争うつもりはないわ。私はただあなたの勝利を見届けに来ただけ。

さあ、彼を愛してあげて。あなたはそのためにここに居るのでしょう」

 

「はあ?いきなり出て来て何言ってるんですか、あなた。

だいたい、私は私の意思で人を愛するから愛の神なんですよ。あなたに指図される筋合いなんかありません。

どうせあなたもカルデアの取るに足らないサーヴァントの1人でしょう?

どうやって建材から抜け出したのか知りませんが、こんな子供騙しで私を惑わせようったって無駄です。

本物のマスターはどこです?早めに言ったほうが身のためですよ」

 

カルデアのマスターがこんなに呆気なく堕ちるはずがない。

サーヴァントたちがあっさりと消えるはずがない。

----こんなに上手くいくはずがない。

目の前のこの女が何かしたことは明白だ。

 

「マスターなら…そちらに」

 

女が私の背後を指し示す。

 

「だからぁ…あんなの偽物だって分かってるんですよ。

カルデアのマスターがあん…な…  ----え……?」

 

冷ややかな眼で『偽物』のマスターに振り返ると。

 

「う…あああ…」

「助けて…カーマ…助けて…」

「もう、嫌だ…もう死にたくないよお…」

 

一面に、地獄が広がっていた。

宇宙に所狭しと浮かんでいる黒髪の少年たちと、橙髪の少女たち。

ある者は頭の半分が吹き飛んで頭蓋の中身を空に曝している。

ある者はぱっくりと開いた腹から腸をはみ出させている。

ある者は身体中の孔という孔からどす黒い呪詛を垂れ流し、ある者は身体が溶けかけている。

みんな死んでいる。

 

「みんな死んでしまったわ」

 

女が悲しそうに呟いた。

 

「人理という重責は、到底一人の人間が背負うものではないの。

私たちは皆、全力で彼らを支え、守ろうとしたのだけれど…彼らは斃れた。

彼らは全員、本物の藤丸立香よ。人の身で、人理を守ろうとした人類最後のマスター……その、成れの果て。

 

「別世界の、藤丸立香…!?一体どうやって…」

 

「あなたと同じ方法を使ったの。あなたは徳川家光という基点から縦に糸を伸ばして、過去と未来に手を伸ばした。

私は私のマスターを基点に横に糸を伸ばし、他の藤丸立香を覗き見た。

…ほんの、出来心だったのよ。 

他愛のない夢を見るみたいに、ちょっとした可能性を覗き見る、ただそれだけのつもりだった。

けれど、結果は…惨憺たるものだった。

胸が痛んだわ。私のマスターではないけれど、

確かに彼と同じ肉体、あるいは魂を持った人たちが傷つき、倒れていくの見るのは。

軽い気持ちで見るべきではなかったと激しく後悔した。

…そんな時、どある獣の幼体が『藤丸立香』を愛に溺れさせる企みをしているらしい、と小耳に挟んだの。

彼らのために何かしてあげたいけれど、私では救えない。

彼らを悼み、愛し、慰めることもできない。

けれど、あなたなら出来る。

だから、お願いをしに来たの。愛欲の獣さん。せめて彼らを愛してあげて。成し遂げられなかった彼らを、慰めてあげて。」

 

「ふ……ふざけないでくださいっ!」

 

思わず私は声を荒げた。

 

「私を何だと思ってるんですか!?

あなたたちの不届きで死んだマスターたちを…落伍者を、失敗作を慰めろと!?

そんなことのためにわざわざこんな領域を作ったわけじゃないんですよ!?」

「いいえ、あなたは『藤丸立香』を愛さなければならない。それはあなたが自身で定めた羽化の条件よ。

どんなダメ人間でも愛してあげるのでしょう?」

「そん……な……」

 

視界に広がる一面の『藤丸立香』を呆然と見つめる。外傷や欠損は私の宇宙の中なら治せる。

心を落とすのも容易いだろう。この領域にいるすべての『私』を動員すればこの数も対応できる。

物理的な問題は、ない。ないけれど。

 

「あなたは…あなたはそれでいいんですか…!?

あそこにいるのは…あれは、あなたのマスターでもあるんですよ!?

それを、こんな……!」

 

「あら、ビーストのあなたがそれを言うの?ふふ、真面目なのね。

彼ら一人一人の為に涙を流して哭いていたらいくら時間があっても足りないわ。

それに、あなたは一つ思い違いをしている。彼らは確かに藤丸立香だけれど、私のマスターではない。

私には、まだ守るべきマスターがいる。…彼があの中に加わらないようにね。」

 

「…信じられない。あなた、何を言ってるか分かってます?

あなたのマスターですらない誰かの慰めを私に押し付けて…それで世界が滅んでもいいと?」

 

「いいわ」

 

女が真っ直ぐに私を見つめた。

 

「もう一度言うわ。お願い。愛欲の獣ラプス。カーマ、あるいはマーラ。あなたの無償の愛をもって、彼らを救ってあげて」

「…は…」

 

思わず力ない笑みが零れる。

この女は本気だ。

本気で、人類悪であるこの私に頭を下げて、懇願している。

その時、私の脚に何かが触れた。

下を見ると、無数の藤丸立香のうち一人が私の足元に這い寄り、すがりついていた。

下半身がない。断面から垂れ流された夥しい量の血が血だまりを作り始めている。

 

「お願いだ…カーマ…もう、休ませてくれ…俺はもう、十分頑張ったんだ…

もう誰も傷つけずに済むし…もう誰にも傷つけられなくても済むんだ…う、ううう…」

 

人理を救った英雄の姿ではない。傷つき、折れ、壊れ、砕け散った、哀れな人間だ。

そして愛の神である以上、私はこういったちっぽけな人間を愛さなければいけない。

それを否定することは、私を否定することになる。

…今更、曲げることはできない。

 

「…っ!」

 

『私』の中の一人が歩み出て、下半身分軽くなった藤丸立香を抱き上げた。

 

「よし、よし。もう大丈夫ですよ…もう安全です。さあ、あちらへ。すぐに脚を直してあげましょうね。

もう、頑張らなくていいんですよ。もう休んでいんです…」

「ああ…ありがとう、カーマ…ありが、とう……」

 

感謝の言葉を述べると、その立香はがっくりと項垂れて意識を失った。

 

「…いいでしょう。あなたに指図されるのはほんっっっっとーに癪ですけど!

あなたの言う通り、それが私の在り方です。愛してあげますよ。

どれだけかかっても、あの哀れな落伍者たちを一人残らず。

そして私は羽化してこの世界を滅ぼす。それでもいいんですね?」

 

「もちろん。全て承知の上よ。 ありがとう、カーマさん。感謝するわ」

女は微笑むと、

「それじゃあ…お邪魔したわ。もう用もないし、私は消えるわね。 

それでは、ごきげんよう。あなたの悲願の成就、祈っているわ」

そのまま幽霊のように身体を透かし…虚空に消えた。

 

「…………」

 

並行世界の観測、及び干渉。

宇宙たるこの領域への自由な出入りと権能への免疫。

到底並みのサーヴァントの持ち得る力ではない。

あの女は、もしかしたら…

 

(……まさか、ね)

 

…いずれにせよ、もうどうだっていいことだ。

どうせあの女のマスターもここではない別の世界にいるのだろう。

私の与り知ることではない。

どこへだって消えて、好きなだけマスターを守ればいい。

私には私のやることがある。

 

「…さて、と」

 

私は痛みに悶える藤丸立香の群れに向き直った。

 

「……愛して見せますとも」

 

領域内の『私』をかき集めて、取り掛かる。

私の羽化には、もう少し時間がかかりそうだ。


 


 

 

 

20/07/30(木)23:45:13No.713330713

いい…

カーマちゃんは何だかんだで最終的に同情しちゃうタイプだよね…

 

 

 

20/07/30(木)23:46:26No.713331103

ビーストなのに剣式さんのぶっ飛んだ行動に狼狽えて常識人になるカーマちゃんかわいい

 

 

 

20/07/30(木)23:47:02No.713331298

カーマちゃん根が真面目だから…

 

 

 

20/07/30(木)23:49:53No.713332235

神様として自分の役割を最大限に成すことで結果的に人類を滅ぼすって手法を選んでるからね……

 

 

 

20/07/30(木)23:50:17No.713332375

これ結局はカーマちゃんが剣式さんのワガママに体よく使われてるだけだよね

でもカーマちゃんに選択の余地ないのがなんか……いい…

 

 

 

20/07/30(木)23:50:50No.713332551

このノリだとその内剣式さんも頭にツノ生えてきそうで怖い

 

 

 

20/07/30(木)23:51:13No.713332675そうだねx

>カルデアのマスターがこんなに呆気なく堕ちるはずがない。

>サーヴァントたちがあっさりと消えるはずがない。

>----こんなに上手くいくはずがない。

ここ最高にカーマちゃんっぽくて好き

 

 

 

20/07/30(木)23:58:51No.713335202

コワ~…

 

 

 

20/07/30(木)23:59:13No.713335327

英雄でも神霊でも無茶な事やらされたらそりゃこうなるさ…

 

 

 

20/07/31(金)00:05:01No.713337391

順調に勝ったら勝ったで納得いくまでは疑問に思うタイプだろうね

 

 

 

20/07/31(金)00:19:35No.713342488

せっかく作ったハーレムを野戦病院というか死後のデイケア施設にされたカーマちゃんかわいそう…

 

 

 

20/07/31(金)00:20:26No.713342774

大奥ってそういう場所じゃないんですけど…

 

 

 

20/07/31(金)00:22:19No.713343353

これは実質ヴァルハラなのでは?ワルキューレは訝しんだ

 

 

 

20/07/31(金)00:29:43No.713345632

ヴァルハラは助けちゃくれないし修羅地獄じゃんあんなの…

 

 

 

20/07/31(金)00:31:40No.713346212

>大奥ってそういう場所じゃないんですけど…

何を言っているのかね女中君

大奥は訪れた者を歓待するこの世の楽土だろう

早くバーっと持て成してやりなさいよ!

なんでか知らんが見てるだけで涙がちょちょ切れそうなんだぞ!

おお…皆この若さで…

なんと痛ましいことか…