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(視点:立香)

 

「寒いな……」

 

俺は重い足取りで雪路を進む。

自分の身の回りで、何か異変が起きている。そんなパラノイアじみた感覚に苛まれながら。

 

「……」

 

ふと、辺りを見回す。ここは先日あの不思議な少女と出会った場所だ。

そこから異変が始まった。 なぜか俺と、式さんの名前を知っていた外国の少女。

どこからともなく現れ、半ば強引に俺と彼女を引き離した式さん。

そして、その晩に垣間見えた式さんの頭に生えた角、のようなもの。

見えたかと思えば消えてしまったが、あれは一体…?

 

思い過ごしかもしれない。しかし、俺はどうしても胸に突っかかる違和感を拭えずにいた。

ふと、俺が顔を上げると。

 

ちょうど、前日アビゲイルがいたあたりに。

女武者がいた。

 

「変な人に関わってはダメよ?」

 

式さんの言葉が木霊する。

現代日本に、甲冑姿。

…なのに下半身は二―ハイソックスで、胸の部分はその大きさを強調するかのような穴が開いている。

顔立ちこそ日本人然としているが、その肌は褐色で髪も雪のように白く染まっている。

そんな女武者が、鼻から漫画のように鼻ちょうちんを出して、雪の降りしきる夜に立ったまま眠っていた。

 

(……変な人だ……)

 

確かに、こんな人には関わりたくない。何より目を引くのは、彼女が持っている身の丈ほどもある大太刀だ。

今時競技用でもこんなに大きな竹刀はちょっとない。

さっさと通り過ぎよう。式さんに聞きたいこともある。

そう思い、足早に通り過ぎようとした時。

 

----はっ!寝てた!」

 

…これまた漫画のようなセリフと共に、女武者が目を覚ました。

その声に驚いて振り向いてしまった俺は女武者と目が合ってしまった。

 

「……む。お前。ちょっと聞きたいことがある。」

 

ああ、また厄介なことになる。そんな諦めに近い確信を抱きながら、俺は女武者に向き直った。

 

「この辺に獣がいると聞いたのだが。それらしきものを見なかったか」

 

「獣…?」

 

ここは住宅街のど真ん中だ。時折猪が迷い込んで話題になることはあるけれど、一般的に獣と呼ばれる野生動物が済む余地はほとんどない。

そう伝えると、女武者はわざとらしく顎に手を当てて、

 

「むう、そうか。困ったな。困りみ。現界が上手くいかなかったのだろうか……情報があまり入っていないようだ」

 

いよいよ嫌な予感がする。見た目の雰囲気は全然違うのだが、このまるで別の世界から来たような不思議な姿と語彙は、まるで先日の…

あれ…? あの子の名前は何て言ったっけ… あの子の顔は…?

 

「立香?その子は?」

 

あの少女を思い出そうとする俺の試みを阻むように、またしても式さんが二人を見つめていた。

 

「お前…」

 

式さんの姿を認めた女武者の目が、途端に鋭くなる。

 

「獣か」

 

そう呟いた女武者の姿が、突然俺の目の前から消えた。

 

次の瞬間には、俺の視界の右端で鮮やかなオレンジ色の火花が散り、つんざく金属音が耳に響いた。

 

「な…!?」

 

ほんの刹那で、それなりに距離があった式さんの元に詰め寄った女武者が、大太刀を振り下ろしていたのだ。

 

「真剣…!?」

 

月明かりを反射し、妖しく光る黒い大太刀。

当の式さんも、どこからともなく取り出した日本刀で、上段の振り下ろしを受け止めていた。

 

「あなたのこれ、相当の上物よね? すごいわ……! 欲しくなってきちゃう……」

 

その上物で斬られたという事実などどこ吹く風、という様子で、式さんは自らの日本刀の峰越しに女武者の黒々とした太刀を眺めている。

 

「欲しければ、私の死体から奪うことだ…なッ!」

 

高度に鍛え上げられた金属が擦り合い、雪夜に狂想曲を奏でる。

いよいよ二人の剣士が剣戟を繰り出そうと構えた。

 

「式さん!」

 

俺は叫んで、式さんの目の前に駆け出した。

一度に色々なことが起こり過ぎて、混乱しきった頭の中で、それでも俺はわかった。

この女武者は、式さんを殺す気だ。 俺が、守らなければいけない。

俺の両腕に突き飛ばされた式さんの身体が、羽のようにふわりと浮く。

そして、再び人間の眼では捉えることの叶わない速度で駆け出した女武者の黒太刀は、真っ直ぐ俺の頭蓋へと吸い込まれた。

 

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(視点:三人称)

 

「……………」

 

女武者の持つ太刀が、ぶるぶると震えている。 彼女はさっきまで青年が在ったはずの虚空を見つめ、滝のように冷や汗を流していた。

 

「……どうしたの?」

 

立ち上がった両儀式は、凍えたように動かない女武者に声をかける。

 

「……分からん。 先ほどまでいたはずの、少年……あの少年を、私が、斬る。そう、考えた瞬間…何か…恐ろしくなった」

 

その言葉を聞き、両儀式が静かに剣を納めた。

 

「…その様子じゃ、今日はここまで、ね。貴方、名前は?」

 

未だに震える手を下ろし、女武者が俯きながら言った。

 

「名前など、ない… とうの昔に捨てた。 無銘だ」

 

「無銘、ねえ。名前としては不格好だわ。 そうね… 魔人、とかどうかしら?」

 

「魔人…か。うん。良い響きだ。かっこいい。それに…どこか、懐かしい響きがする」

 

「そう。それじゃ、宜しくね、魔人さん。 よかったら、私のお家に寄っていく?」

 

「なぜ、お前の家など…」

 

「こう見えても私、魔術に関しては多少心得があるわ。あなたの追う『獣』に関しても、教えられることがあるかもしれない」

 

「…そうか。そうだな。では、お言葉に甘えるとしよう。世話になるぞ、両儀式」

 

大太刀を鞘に納めながら、魔人は訝しむ。はて、どうして私はこの女の名前を知っているのだろう?

顔を上げた先にある、白い着物の背中を見つめる。 一瞬垣間見えたはずの獣の兆しは、どこにもなかった。

 

 

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(視点:三人称)

 

「はむ…ふむ…うむ。 うまい。うまみ。やはりおでんは良い文明だ……」

 

「そんなに急がなくても、たくさんあるからゆっくり食べていいのよ?」

 

藤丸・両義家。 異な客人を迎え、3人はおでんを囲んでいた。 

 

「…どうしたの、立香さん? 食べないの?」

 

「あ…うん。 ごめん、ちょっと、食欲がなくてね…」

 

立香は、先ほどまでの『悪夢』を思い出していた。

 

大学からの帰り道、いきなり現れた甲冑姿の女武者。

同じく神出した両儀式に突然斬りかかり、そして立香はその凶刃から両儀式を守ろうと、身を投げ出し…

斬られる直前、自室で目を覚ました。

 

そしてその女武者と今、同じ食卓を囲んでいる。

まるで現実感がない状況に、立香はただ困惑していた。

 

「む、おでんを食べないだと。 それはいけないぞ、立香。おでんはとてもいいものだ。だから……その……食べろ。」

 

そして魔人と名乗ったこの女武者、妙に馴れ馴れしい。 

 

「あの…どこかで会ったことが?」

 

その質問に、当の魔人も首を傾げて、

 

「それな。 それについてだが、私も分からん」

 

「えっ… 分からない…っていうのは…」

 

「うん。分からないっていうのはつまり、分からないってことだな。なんというかお前の顔を見ていると胸が熱くなるというか、ドキドキしてくる。

一体何なんだろうな、これは?」

 

流石の立香もこれには頭を振った。

 

「ねえ、式さん…この人誰なの? なんで連れてきたの…?」

 

すまし顔でおでんを口に運ぶ両儀式におずおずと立香が聴く。

 

「この人は魔人さん。人探しをしているんですって。 けれど、この辺に身寄りもないから、一時の間ここに居候することになったわ」

 

「居候、って…」

 

「困ってるみたいなの。助けてあげましょうよ」

 

「もう…仕方ないなあ」

 

立香は軽くため息をつきながら、諦めておでんを口に運ぶ。

 

そんな二人をじっと見つめていた魔人が、

 

「もしかして、二人は…あれか、夫婦なのか?」

 

その言葉に反応して、立香の手が一瞬止まる。しかし両儀式のほうは動じることなく、

 

「ええ。今はまだ違うけど、もうすぐ結納します」

 

「あ、はは…なんだか改めて言われると、照れるな…」

 

顔を赤くする立香。そんな立香を見ると、なぜか。

 

「…そうか。それは、よかったな。」

 

魔人は謂れのない一抹の不快感を覚えるのだった。

 

 

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(視点:三人称)

 

 

「それじゃあ、行ってきます!」 

 

「はい。行ってらっしゃい、立香さん。 気を付けてね?」

 

翌朝。毎朝の日課を終え、大学へ向かう立香を見送った両儀式は、改めて魔人と向き直った。

 

「さて。やっと本題に入れるわね、魔人さん?」

 

「うむ。 あいつは…立香はいいのか?お前の夫だろう」

 

「ええ、いいの。 あの人はもう…魔術師ではないから」

 

「ふむ…まあいい。お前たち夫婦のことまで口を挟むつもりはない。 だがお前のほうは…只者ではないな。ただの魔術師とも思えん」

 

「あら、買いかぶってくださるのね。 剣は多少、嗜む程度よ。自分の身と、彼を守るために振るう、それだけ。

 私は…そうね、ここ一体の管理者、とでも言っておこうかしら。理を保つものとして、それなりには頑張っているわ」

 

世界各地には、有力な魔術師がそれぞれの一帯を管理地(セカンドオーナー)として治め、魔術協会や聖堂教会と協力して神秘の秘匿に尽力している。

両儀式はそういった管理者の一つなのだろう。魔人は与えられた知識と総合し、そう納得した。

 

「では、私が追う『獣』のことも知っているのか?」

 

両儀式は頷いて、

 

「ええ。平和に見えるでしょうけど、この世界は大いなる脅威に晒されているわ。やもすれば、この世界そのものを瓦解させかねない存在が」

 

彼女にしては珍しく、魔人は神妙な面持ちで腕を組んだ。

 

「むう、それは確かに一大事だ… しかし、そんな大事なら、もっとこう…グランド、と言ったか。偉くて、すごいサーヴァントが集まって倒すものだろう。私はそう聞いたが」

 

「普通なら、ね。けれど、事はそう簡単じゃないの。 あなたの追う『獣』はまだ未熟…そして、姿を隠すのが上手い。

大っぴらに街や人を破壊したり、人類に挑戦したりするような類じゃないの。そのせいかしらね、抑止力が送り出せる戦力も限られている」

 

「つまり、私は補欠、あるいは前哨ということか? うむ…微妙な気持ちだ…」

 

「いいえ、違うわ。あなたが呼ばれたのはきっと、あなたが『特攻』を持っているから」

 

「…とっこう?」

 

「その刀よ」

 

両儀式は魔人が佩いている刀を指さして、

 

「一度しのぎ合っただけだけど、わかるわ。 あなたのその刀には、特別な能力が宿っている。違う?」

 

「おお、お前も煉獄のすごさが分かるのか!流石だな。 その通りだ。その気になれば、こいつはなんかすごいビームを出して、敵が死ぬ!すごいだろう!?」

 

急に眼を輝かせて前のめりになる魔人の圧に押されながら、両儀式がぎこちなく答える。

 

「それは…ええ、すごいわね…」

 

当の両儀式本人も、煉獄を目の当たりにした際は同じように目を輝かせていたのだが。

 

「ところで、そいつの位置だ。姿を隠すのが上手いと言ったが、目星はあるのか?」

 

「正確な位置は掴めないわ。何せ、好きな時、好きな場所にどこからともなく現れることができる。まさに神出鬼没だもの。

けれど、おびき寄せることはできる」

 

「おびき寄せる、か。奴には何か執心があるのか?」

 

「ええ。私の夫にね」

 

 

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(視点:立香)

 

 

「あれ……?」

 

俺が辺りを見渡すと、そこはまたしてもよく通る帰り道だった。

 

「どうして……」

 

最近は妙な事ばかり起きるから、この道は意識して避けるようにしたはずなのに。

考えごとをしている間に、いつもの癖で足が向いてしまったのだろうか。

 

「……」

 

俺が口をきつく結び、半ば走るような速度で足早に通り過ぎようとしたその時。

 

「座長さん……」

 

また、あの少女の声が木霊した。

 

「な…!」

 

しかも今度は、ただ佇んでいる、というようなものでもなく。

ブロック塀に開いた『門』から、ずるりと身体を引きずるように現れたのだ。

 

「ごめんなさい…もう、時間がないの…」

 

青白く染まった肌に加え、その腕は黒く変色し、蛸のような吸盤が張り付いている。

ぎざぎざに尖った肌から紫色の舌が見え隠れするその様は、まさしく異形だった。

 

「化け物…!」

 

少女が異形の手を前に翳すと、背後の空間が歪み、裂ける。その先にあるのは宇宙としか形容できない何かだ。

その空間から巨大な触手が首をもたげ、不気味に蠢いた。

 

「来るな…!」

 

頭が痛い。何かが、ガリガリと削れる音がする。あれを見てはいけない。感知してはいけない。身体の全機能がそう警告している。

 

「さあ、来て、来て、こちらに……!」

 

紫色の触手が伸び、俺の腕を捉えた。

 

「うわ…!」

 

巻き付いた触手から、何かが入ってくるのを感じる。

絶対に身体に入れてはいけないものが、容赦なく触手を通して俺の中に入ってくる。

 

「ごめんなさい、座長さん…ごめんなさい、お父様…私はもう、我慢できないの…!!」

 

少女が綱引きのように腕を引き、触手ごと俺を空間へと引きずり込もうとする。

その瞬間。

 

赤い一閃が雪夜に煌めいた。

 

俺の腕から斬り離された触手が青黒い血を噴出させながら、びちびちと雪の上でのたうつ。

尻もちをついた俺が見上げたのは、黒い外套を雪夜になびかせる守護者の背中だった。

 

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(視点:魔人)

 

 

 

蛸か。たくさんの『敵』を斬って来たが、蛸の敵は初めてだな。

 

そんな呑気なことを考えながら、私は煉獄を構えた。

 

「どう、して…」

 

そんな幼い声に気付いて、私は目線を落とす。

蛸の化け物に気を取られて気付かなかったが、触手が出て来る異空間の足元に、珍妙な恰好をした少女がいた。

一瞬剣を持つ手が緩みかけるが、すぐに持ち直す。

女や子供を斬るのは初めてではない。今までも、幾度となく斬って来たし、これからもたくさん斬るのだろう。それが、抑止の守護者たる私の役目なのだから。

 

「どうしてあなたが、あいつの味方を…!?」

 

「どうしてとは、また妙なことを聞く」

 

確かに両儀式と協力してはいるが、私は世界の…言ってみれば正義の味方のようなものだ。

正義の味方として多くの『敵』を斬ってきた私にはわかる。

この少女は、そしてこの少女の背後にあるものは、明らかに世界の害。存在してはいけないものだ。

『獣』の気配が感じられないのが少し気がかりだが、両儀式は『獣』はまだ未熟で、姿を隠すのが上手いとも言っていた。

 

「どきなさい! 私にはあなたの相手をしている暇はないの!」

 

少女が目を紅いぎらつかせ、私を威嚇する。

 

「お前にはなくても、私にはお前を斬る理由がある」

 

現に、立香が攫われかけたのだ。野放しにするわけにはいかない。

 

「ああ…貴女も、どうして…あなたも立香さんとの想い出があるのなら…あのカルデアの憧憬を思い出せるのなら…

真に剣を振るうべき相手は誰だかわかるはずよ…」

 

カルデア?なんだろう、それは。聞いたことがない。聞いたことがないはずなのに、その響きはほんの少し私の胸を疼かせる。

 

「……いや」

 

惑いそうになる頭を振り、私は再び少女を見据えた。

 

「戦場に事の善悪なし」

 

私が、いや私の中の『沖田』が呟く。

 

「只ひたすらに斬るのみ」

 

 

「魔人さん」

 

その時、両儀式の声が後ろから聞こえた。

 

「両儀式。お前も来たのか。加勢は嬉しいが、逃げたほうがいい。この相手、お前には少し荷が重いかもしれん」

 

「ええ、そのつもりよ。私は立香さんを助けに来ただけ」

 

ちらりと後ろを振り返ると、気を失っている立香を抱き上げる両儀式が見えた。

そう、それでいい。 私の前から消えてくれればいい。でなければ、私が二人を消さなければいけなくなるから。

 

「…シキ…! あなた…!!」

 

彼女の着物姿を認めた少女が、一直線に触手を飛ばす。私は飛び上がり、私の胴ほどもある触手を両断した。

しかし。

 

「…あ…」

 

両儀式の足元と頭上。少女の背後にあるのと同じような『門』がぱっくりと開いて、大小の触手が顔を覗かせている。

 

(あれは、助からない----)

 

立香を抱えた状態で、あの数を避け切るのは無理だ。

そう思った瞬間、紫色の触手が両儀式と立香を串刺しに-----

 

しなかった。

 

「え…」

 

刹那、両儀式と立香は触手が貫いた地点より数歩隣に移動している。

縮地スキルでも使ったのかと見まがうほどの速度。いや、移動ではなく転移したのか。

ぽかんと口を開ける私に両儀式が振り向いて、

 

「うしろ」

 

と呟いた。

 

「…ッ!」

 

振り向きざまに、ろくに確認もせずに私は煉獄を横薙ぎする。

横一文字に裂けた触手が私の頭上と足元を飛び過ぎて行き、青黒い血が身体中にかかる。

一瞬奪われた視界が戻ると、私の眼前には額に鍵穴が開いた少女の顔があった。

 

とっさに構えた煉獄が、少女が両手で振り下ろした鍵を轟音と共に受け止めた。

 

「あの女に組するというのなら、あなたも罪人よ…!苦しめ…痛みを…痛みを…!!」

 

鍵を弾き、軽く横に薙ぐ。牽制のつもりの軽い一太刀は、私の予想に反して少女の腹を裂いた。

そして更に驚いたことに、少女はそんな傷を意にも返さず、持ち直した鍵で一直線に私の心の臓を突いてきた。

予想外の展開に反応が遅れた私は、とっさに身体をずらして突きを左肩で受ける。

肩甲骨が砕かれ、潰される嫌な音が私の左耳に去来する。

 

とっさに飛び退き、剣を構え直す。 傷は深くはない。腕は動く。ちゃんと肩の上まで上げられる。よし、大丈夫だ。

抑止の守護者として、私の霊基は頑丈にできている。通常ならば身体が不随になるような傷も、多少直せる。

 

だが、だからといって受け続けていいわけではない。奴には触手という手数があるし、リーチでも負けている。長期戦になればなるほど不利だろう。

 

再び少女が飛ばしてきた触手を、今度は斬らずに飛び乗る。嫌な感触だ。足元から、呪いのような何かがこみあげてくる。

私のような対魔力スキルがなければ、近づくだけで生物に影響が出るだろう。

やはり、この生き物、この怪物は、この世界の害だ。ここで斬らなければいけない。

 

極地スキルに物を言わせ、私は不安定な触手の上を駆け出した。私を撃墜しようとする小さめの触手をぎりぎりで躱しながら、私は煉獄を鞘に納める。

少女の顔が近づき、眼が合う、その刹那。 煉獄を抜刀し、渾身の力で薙ぎ払った。

 

確かに手ごたえはあった。 両断、とはいかなくとも、致命傷になるはずだった。

しかし、着雪し振り返った私の視界に映ったのは、受けたばかりの傷を閉ざしながら、煩わしそうにこちらを睨みつける少女の顔だった。

 

「ああ……腹立たしい。 本当に、腹立たしいわ。 私は、ただ座長さんを手繰り寄せたいだけなのに…

こんなくだらない世界なんて、興味はないのに…あなたたちは、どうしてそこまで…」

 

「く…!」

 

抉られた肩の傷が疼く。 やはり、あの鍵は『よくないもの』と繋がっているようだ。

 

(参ったな…斬っても斬れない、となると、やはり宝具しか…)

 

とはいえ、今の私にマスターはいない。 単独行動で魔力消費は抑えてはいるが、一度発動すれば恐らくそこまでだ。

 

(此度も、相打ち、か…)

 

いや、それでいい。 敵を打ち倒すことができれば、殲滅できれば、私がその後どうなろうとどうでもよいことだ。

 

例え私の宝具が破られるとしても、両儀式なら何か手立てはあるはず。

 

私が立ち上がろうとした、その時。

 

「難儀しているようね」

 

またしても、両儀式が後ろから声をかけてきた。よく消えては現れる奴だ。

 

「…逃げたんじゃ、なかったのか」

 

「立香さんはもう安全よ。 あなたに加勢…と言っても、私がいても邪魔になるだけでしょうから。 だから、少し応援してあげる」

 

そう言って、両儀式が傷ついた私の左肩をぽんと叩いた。

 

「…あれ」

 

その瞬間、肩の痛みが消えた。 いや、それどころか、その地点から魔力が流れ込んでくる。 

魔力供給…などというものではない。思わず私は左腕を見つめた。

確かにそれは、私の腕。今までずっとついていたはずの左腕。しかし、どうにも気味が悪い。

まるで、左腕の部分だけ霊基が改造、いや『新調』されたような感覚だった。

 

だが、今は文句を言っている暇はない。敵を討ち果たさなければ。

 

「頑張ってね、魔人さん」

 

「ああ…見ていろ、式」

 

「ええ…しっかり、見ているわ」

 

もう一度、私は煉獄を構える。これほどの魔力があれば、もはやいちいち触手を切り落とす必要などはない。

 

「これより、塵刹を穿つ…!」

 

煉獄から溢れ出た光が、辺りの景色を消していく。地面に積もった雪を、家々を、電柱が消えていく。

そして、白い光が、全てを包んだ。無量、無碍、無辺。三光束ねた無穹、その狭間。私が持ちうる固有結界。

 

「…ッ!!」

 

怒りに顔を歪ませた少女の額に、紫色の瞳を宿した鍵穴が現れた。

恐らくは、あちらも切り札を出すのだろう。 同時に互いの宝具が発動するとすれば、それは出力勝負になる。

 

(…いや、大丈夫だ)

 

左肩の魔力を集中させる。 この力があれば、負けない。そんな謂れのない根拠が私にはあった。

 

「無辺の光をもって天命を断つ……」

 

「我…… 薔薇の眠りを越え、いざ窮極の門へと至らん!」

 

 

 

「『絶剱・無穹三段』!!!」

 

 

「『光殻湛えし虚樹』!!!」

 

 

少女の背後から溢れ出た闇と、煉獄から放出された光が真正面からぶつかり合い、極光を成す。

 

「ぬうううううっ……!!」

 

何もないこの空間では己の位置を確かめるものなど何もないが、じわじわと押されていくのを感じる。このまま力比べをしていたら負ける。

瞬発力でねじ伏せるしかない。 私は霊基を崩壊させんばかりに力を振り絞った。

 

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(視点:『両儀式』)

 

『叶えられない願いが出てきてしまった時が、あなたたちの終わりなのよ』

 

この言葉を彼に言ったのは、私だ。 

 

『誰も傷つけたくなんかなかった』

 

血が混じった涙を流しながら、立香さんはそう語った。

 

叶えられない願い、なのだろうか。 平穏のうちにありたいと願うことは。

好きな人とただ静かに暮らしたいという小さな願いは、叶えられない、叶えてはいけないものなのだろうか。

私にはそうは思えない。あの日、この目で『視た』世界に比べれば。

 

私は安らかな顔を浮かべ寝息を立てている立香さんの頭を撫でた。

 

『誰かを救うということは、誰かを救わない事』

 

どこかの世界の誰かが、そんなことを言っていた。

先程アビゲイルの触手に囚われた立香さんの右腕をさすった。

呪術的結線を引き剥がしても、触手の跡が強く残っている。

あるいはそれは、彼女の想いの強さ故だろうか。

この願いを叶えるということは、彼女のような別の誰かの願いを斬り捨てることになるのだろう。

 

 

けれど。

好きな人の1人も救えないで、何が万能の願望器だろうか。

自分がこうして生まれたことを特に感謝したことも、特別に思ったこともない。

けれど、今だけは。 自分が『 』であることが、私は嬉しかった。

 

「行ってくるわね、立香さん」

 

眠った立香さんに告げ、私は立ち上がる。 また、行かねばならない。私と彼の、ちっぽけなこの世界を守るために。

 

無量、無碍、無辺。終わりのない無窮の世界。そこに、彼女たちはいる。

 

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(視点:『両儀式』)

 

 

私はちっぽけな少女の背中を見つめる。

 

この少女にとっても、立香さんは大切な存在なのだろう。

前に向かって歩くべき足を止め、こんな世界の果てまで星辰の門を繋ぎ、手繰り寄せたいと思うほどに。

だからと言って。 私の覚悟を、ここで踏みにじられるわけにはいかないのだ。

 

私は、躊躇うことなく彼女の後頭部に浮かびああった『線』を斬った。

 

「…………」

 

アビゲイルは無言で身体を弓なりに反らせ、ゆっくりと私に振り返った。

 

「……何、を、したの」

 

震える声で問う声に私は答える。

 

「あなたと、あなたの『父』との繋がりを斬ったわ。 今のあなたはもはや巫女ではない。 ただの、どこにでもいる、普通の少女」

 

「嘘よ」

 

「ええ、普通なら、それは『嘘』になってしまう。 時間を、時空をも操れるあなたは僅かな縁を辿って、再び『線』を繋いでしまう。けれど」

 

私は辺りを見回した。 辺りは一面の闇だ。 しかし、アビゲイルの向いていた方向から、一抹の光が差し込んでいる。

 

「ここは無窮の狭間。始まりも終わりもない、概念の墓場。あなたが操れる時空も辿れる縁も、ここには存在しない。 あなたと、『外なる神』との繋がりもここでなら薄くなる」

 

それはつまり、『線』そのものが薄くなるということでもある。 幸いなことに、それは私の技量で賄えた。

アビゲイルの額に浮かんだ鍵穴、その中の瞳がゆっくりと閉じ始め、青白い肌の人間らしい血色を取り戻していく。

 

「嘘。嘘。そんなの嘘よ。 お父様が、そんなはず…」

 

「あなたの神に終わりはない。 死という概念で捉えることはできない。 それと繋がっているあなたにも同じことが言えた。

けれど、あなたとあなたの神の繋がりは永遠ではないの。

あなたを巫女にするために、あの魔神柱はかなりの労力を要したようだけれど。 気の毒ね」

 

例え、それが気の遠くなるような未来でも。終わりがあるのならば、それを手繰り寄せ、斬る。

私の魔眼は確かにそれを遂行した。

『門』が閉じ、召喚されていた触手-----クリフォトの根も、急激に萎れ、消えていく。

そして、一筋の光が増大し、迫ってくる。 闇を滅ぼし、天魔を滅し、一切の世界をあまねく照らす無辺の光が、罪人を飲み込まんと猛る。

 

「さようなら。アビゲイル・ウィリアムズ」

 

「嫌…いや、そんなの嫌よ! こんな、ところで…!」

 

アビゲイルの悲痛の叫びの先に私の姿はない。

 

「座長さん… 立…香… さん…」

 

ついに無辺の光に追いつかれたアビゲイル・ウィリアムズは、最期に嗚咽を残して無窮の狭間に落ちた。

 

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(視点:『両儀式』)

 

「はぁ……はぁ……よし。魔人さん大勝利、だな」

 

魔人さんが煉獄を鞘に納め、息をつく。固有結界が解け、普段の街が姿を取り戻していく。

そしてその中に、当然ながらアビゲイルの姿はない。

 

「……今のが、『獣』か? 私が聴いていた者とは随分と違うようだが… 式、お前は何か知って…」

 

振り返る魔人さんに合わせるように、私は無造作に腕を突き出した。

 

「……あ……?」

 

とすん、と軽い音がして魔人さんの左肩…私が先ほど手を置いたあたりに、刀の切っ先が刺さる。

 

「…き、さま…」

 

通常の突きならば、彼女の霊基には大した傷ではないだろう。

けれど、決して深くないその突きは、確かに彼女の『点』を穿った。

よろよろと後ずさる魔人さんに私は感謝の言葉を述べる。

 

「ありがとう、魔人さん。すごく助かったわ。私一人だと手を焼いてたから、あの子には。ちょうどあなたのような人を待っていたの」

 

「な、に…?」

 

「斬り結んだら負けない自信はあるけど、あの娘は何度首を落としても、『線』を切っても、また繋がってしまうから。

だから、『どんな存在』でも無穹の狭間へと墜とし、強制的に世界から退去させることのできる煉獄剣の使い手であるあなたが召喚されたのは、私にとっては僥倖だった」

 

魔人は呆然と手に持った太刀を見つめる。

私は尚も続けて、

 

「それに、あなたはフォーリナークラスと相性がいいアルターエゴのサーヴァント。

邪神の狂気に耐えられる対魔力スキルも、超常の者との戦いを想定されて調整された特殊な霊基をも持ち合わせていた。

ええ、感謝しているわ。本当に」

 

「……そう、か……『獣』は…私が剣を振るうべき相手はあの童ではなく……お前、だったのか……」

 

魔人さんが自虐的な微笑を浮かべ、煉獄剣を取り落として両膝を雪に沈めた。

 

「ふ、ふふ…まるで、道化、だな…私は……」

 

「いずれにしろ、あの娘に憑いた神はこの世ならざるもの。存在してはいけない、名状し難きもの。あなたは正しく剣を振るったわ」

 

もちろんこんな言葉は気休めでしかない。 結局、私の討伐という目的は、アビゲイルと魔人さんで共通するものだったのだ。

私が彼女の知識と認識を利用して事態を歪めなければ、恐らくは二人は協力して私を狩りに来ただろう。

 

「…ああ、くそ… 恨むぞ… 両儀式…」

 

「…好きなだけ恨みなさい。 とうに覚悟はできてるわ…」

 

魔人さんは俯いたまま首を振って、

 

「違う。違うんだ。確かにお前にいいように使われた挙句、後ろから斬られたのは確かに悔しいし、腹が立つ。だがそれよりも、だ…」

 

魔人さんが膝立ちのまま見上げるその頬には、大粒の涙が流れ落ちていた。

 

「送る前に、こんな… わざわざ立香を…マスターを思い出させるなんて…こんなのって、ないじゃないか…」

 

「……」

 

先ほど、私が宝具を開帳させるために魔人さんに送り込んだ魔力。恐らく、その魔力に釣られ、彼女の不断スキルが発動したのだろう。

1945年の帝都で戦い、カルデアで立香さんと過ごした記憶。スキルにまで召し上げられたほどの大事な想い出。

それがあるからこそ、彼女は数多の屍を越えて尚、その精神がすり減ることも腐り落ちることもなく戦い続けて来た。

 

「なあ、式…立香を、マスターを、返してやってくれないか… できるんだろう、お前なら……」

 

弱弱しい声で、軽く頭を下げてまで、魔人さんが私に頼み込んだ。

正直、予想外の行動だった。いみじくも抑止の守護者が、倒すべき敵に向かって頭を下げ、懇願している。

それに対し、私は。

 

 

 

         あなたたち

「彼を奪ったのは  世 界  でしょう?」

 

 

 

 

自分でも少し驚くくらい、冷酷な声で返してしまった。

 

「確かに…この世界を作ったのは私のエゴよ。でも」

 

「私がそうしなければ、世界が必ず藤丸立香を殺す。一つの例外もなく。」

 

立香が心穏やかに暮らせる世界があるのなら。一つでもそんな優しい世界があれば、私が新しく作る必要などなかった。ただそれを遠くから眺めるだけでよかった。

けれど、そうはならなかった。そんな世界は、一つとしてなかったのだ。

それが特異点や異聞帯での敗北にしろ、自らのサーヴァントの手による殺害にしろ、人理修復後の魔術師の陰謀にしろ、抑止力による働きにしろ、不幸な事故にしろ…

無限に近い世界のうち、一つの例外もなく、藤丸立香は『世界』によって抹殺される。その様を、私は確かに自分の眼で『視た』。

 

 

                                                                fate

自らの手で二度救った世界に、殺される。 それが、藤丸立香に課せられた『運命』だった。

 

 

 

だから、私は作ったのだ。この世界を。それが、許されないと知りながら。

 

「抑止力、人理、人類史。魔術王がその身を賭して守った、美しき世界。そんなものはね、私にとっては彼の魂ひとつぶんの値打ちだってないの。

私は世界を壊すつもりも、直すつもりも、弄るつもりもない。ただ、彼に生きてもらいたいだけ。ただ彼と共に暮らしていたいだけ。

全部冗談みたいなものなのよ、魔人さん。カルデアも、汎人類史も、異聞帯も、根源も、全部。彼が健やかに生きていくのを眺めるときの安らぎに比べれば」

 

「世界が、抑止力がそれを奪うと言うのなら、私は全力で抗うわ。例え獣に成り果てるとしても」

 

抑止力の刺客を送るため、私は魔人さんの首に刃を当てる。

その運命を受け止めるように魔人さんは目を閉じる---と、思った矢先。

 

「あ…そうだ。式。煉獄剣。持って行っていいぞ」

 

いきなりの飄々とした物言い調子を崩され、私は顔をひそめる。

 

「…どういう風の吹き回しかしら?」

 

「お前、これを欲しがっていただろう。私は『私の死体から奪え』と言った。形はどうあれ、お前は私を殺したんだ。お前には持つ資格がある」

 

「…あなたが消えれば、どうせこの子も消えるでしょう」

 

「いや、こいつはちょっと特殊でな。 私のものではあるが、霊基は共通じゃないんだ。それに聞いて驚くな、喋れるんだぞこいつ。すごいだろう」

 

「どういうつもり? 私はあなたたちの敵なのよ」

 

「ああ…だろうな。 なんというかな、このままお前の思い通りに消えるのは癪なんだ。だから、時々でいい。そいつを振って、私を思い出してくれればいい。

あ、あとそれと、お前が作ってくれたおでん…あれは、美味かった。だから、その礼だ」

 

釈然としない気持ちを抱えながら、私は魔人さんから煉獄剣を受け取った。最後まで掴みどころのない人だ。

 

「ああ、最後に……両儀式。 抑止の守護者としてではなく、私個人として、頼む。 どうか立香を、守ってやってくれ…」

 

恐らくは、それが一番の理由なのだろう。私と同じく、この人も立香さんの幸福を願っている。

もしかすれば、彼女の『点』を突いたのは失敗だったかもしれない。共存できる道があったかもしれない。

私は胸に去来したそんな一抹の後悔をもみ消す。彼女は抑止の守護者。ともすれば、私だけでなく、立香さんにも危害を及ぼすかもしれない存在だ。

この世界を『敷いた』時点で、私には頼れる味方などいないのだ。

 

「…分かったわ。約束する。 私は私の持てる全ての力を使って、この世界と、立香さんを守る。だから安心して逝きなさい、魔人さん…いいえ、沖田総司」

 

今度こそ、私が刀の柄を握り直すと、沖田さんも涙を溜めた目を閉じた。

 

「ああ…みっともないな…せめて、最後くらいかっこよく消えたかったのだが…」

 

「やっぱり…嫌だなあ…消えたくないなぁ… 立香… 立香ぁ……」

 

藤丸立香を想ってすすり泣く2人分の少女の声は、私が彼女の首にあてがった刃を引いた後も、しばらく私の耳に残り続けた。

 

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(視点:立香)

 

午前2時、丑三つ時。俺の頭の中は、思考でいっぱいだった。

最近、異様なことが身の回りで起き過ぎている。そして、その中心には、いつも式さんがいた。

もう、あの少女の名前も顔も思い出せない。 今日来ていたはず客人のことさえも。

 

「……」

 

喉が無性に乾いた俺は、もそもそと布団から抜け出す。

その瞬間に冬の冷気が身体を刺すが、それにはもう慣れてしまった。

 

冷たい水を飲み干し、眠気を覚ましても、一向に答えは出ない。

もしかしたら俺がおかしくなってしまったのかな。そんな心配すら覚え始めた折、台所を出て廊下を曲がった先に。

 

式さんが、縁側に腰を下ろして外を見渡していた。月下美人、そんな言葉が頭をよぎる。

 

「…綺麗だ」

 

そんな月並みの言葉が思わず口をついて出てしまう。

その言葉で俺に気が付いた式さんは、口に手を当ててくすくすと笑った。

 

「立香さん? お褒めに預かり光栄だけれど。少し調子が良いんじゃないかしら?」

 

布団の中や帰り道でとめどなく考えを巡らせると、少し末恐ろしくなってくることもある式さんだけれど。

こうして目の前にして相手にすると、俺はどうしようもなくどぎまぎして、胸が高鳴るのを抑えられない時がある。

 

「あっ…えーっと…そう、月! 月が綺麗だなって…」

 

慌てて口をついた苦しい言い訳に、式さんは尚も笑って、

 

「あら。お上手だこと」

 

なんて言ってくる。式さんは自分の隣に手を置いて、

 

「隣、どうかしら? 少し、寂しかったところなの」

 

「ああ、そっか。最近、あんまりこうして二人でゆっくりする機会とかなかったからね」

 

どうせ彼女を避けたところで堂々巡りをするだけだろうし、これから夫婦になる人に遠慮することもないだろう。

そう判断した俺はお言葉に甘えて式さんの隣に座った。

 

「静かで… 月明かりと雪がとても綺麗。そう思わない?」

 

「そうだね…」

 

確かに満月の光を雪が跳ね返して、庭先が幻想的に白く浮かび上がっている。 真夜中だというのに、辺りのものがはっきり見える程度には明るかった。

そして、そんな明かりに照らされた式さんの整った青白い顔が、一層美しく見える。

 

(何か……何か話さないと)

 

そうだ、身の回りで起こっている異常事態がある。そして、式さんはそれについて何か知っているはずだ。

だから話を聞かなきゃいけない。前からずっとそう思っているのに、いざこうして式さんと一緒になると、どうしても口を開けない。

緊張……ではなく、逆だ。 この人の隣にいると、俺はすごく安心して、俺にはこの人さえいてくれればいいと、そんな気持ちにすらなる。

 

そうこうしているうちに、式さんのほうから沈黙を破って来た。

 

「ねえ、立香さん。ここは、好き?」

 

「え?」

 

「ここで私と二人っきりで過ごすのは、好き?退屈したりしない?」

 

「…もちろん、好きだよ。心配性だなあ、式さんは」

 

「ごめんなさい。でも、兎は寂しいと死んでしまうって言うでしょう?」

 

…なんでいきなり兎?

その突っ込みをしようと式さんのほうを向くと。

先日と同じように、彼女の頭の側には角が生えていた。それも、前回よりも大きく、禍々しい紋様も付いている。

しかしそれ以上に、俺の眼を引いたのは、彼女の頬を伝う一筋の涙だった。

 

「……」

 

その涙を見た瞬間、頭の中を渦巻いていた不安やら、疑問やらが一気に吹き飛んでしまった。

夢がなんだ、角がなんだ。俺はただ、この人と一緒にいたいだけなんだ。

勇気を振り絞って、俺は式さんの肩を抱く。びっくりするほどその身体は華奢で、こうして抱いていないとどこかへ消えてしまいそうなほど朧げだ。

 

「好きだよ、式さん」

 

「え…」

 

涙で濡れた式さんの頬が、赤く染まっていく。

 

「この生活も、暮らしも、式さんも。退屈なんてしない。 ずっと一緒に居たい。離したくなんか…ない」

 

その言葉を聞いた式さんは、指で涙を拭って、

 

「…もう、本当に調子がいいんだから。でも、嬉しいわ。私ももっと頑張らなくちゃね」

 

「ありがとう、式さん。本当に」

 

何に感謝しているのか、何故感謝しているのか、自分でもよく分からない。ただ、そうしなければいけないという奇妙な使命感を覚えた。

俺には、この人が必要なんだ。

 

「立香さん…」

 

式さんが、俺の頬に手を伸ばして、淡い口づけをした。

 

「…月が、本当に綺麗ね…」

                       ひと

俺は最後の最期までこの美しく、そして恐ろしい 女 と一緒にこの世界で生きていきたい。

 

彼女が何者であろうと。俺が何者であろうと。ここで、彼女と静かに滅んでいきたい。

 

そう、願った。

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20/03/01()00:14:40No.667316351

先日から書いている両儀式怪文書の続き…のダイジェスト版です

書き上げたら15000文字近くなってしまったので、そちらはtxtにしてスレ用には特に書きたい事だけ詰め込んだダイジェスト版を作りました

 

ノーカット版はこちらになります

 

 

20/03/01()00:16:36No.667317405

>15000文字近くなってしまったので

なそ

にん

 

 

 

20/03/01()00:18:21No.667318299

文章量が…文章量が多い!





20/03/01(
)00:24:04No.667321044

殺しに及んじまうともう本当に戻れないな…

 

 

 

20/03/01()00:37:43No.667327290

ノーカット版読んできた

わるい「」さんってなんか…いいな